人生の革命

先日、友人に「君の人生のプランを聞かせて」と言われ、頭が真っ白になりました。

私には人生の目標やプランがなく、10年後どうなっていたいか、なんて聞かれてもまったく想像がつきません。1年後すら、どんな生活をしていたいのか、よくわからないのです。

 

友人と私は同じ28歳。

友人は「40歳には起業したい。そのために、来年には今の会社で別のポジションにつくか、転職して希望のポジションにつき、仕事を覚えたい。35歳までに株の利益だけで生活できるように今から勉強して、会社での仕事は社会貢献として行いたい。」と言います。

そして、「君は40歳の時にどんな人生を送っていたい?」と聞きます。

私には未来に対する具体的なビジョンなど何一つなく、ようやく絞り出した答えは「40歳まで生きてなくてもいい。」でした。

別に自殺願望があるわけではありません。

ですが、人はいつか必ず死ぬし、その日が明日来るとしてもなんら不思議ではありません。

また、私たちは日一日と年老いていき、今の若さを失った自分を見るのが怖いという気持ちもあります。

私は自分の将来に、なんの希望も見出せません。

 

友人に人生の目標を問われてから、そのことについて考えるようになりました。

私は時間を浪費しながら、このまま命が続く限りだらだらと生きていくだけでいいのだろうか。

大きなことは成し遂げられなくても、自分の人生の中で何かをやり遂げたと思える一生にしないと後悔するのではないかと、そう思うようになりました。

しかし、人生の目標に何を設定すべきなのか、自分が何をしてどんな風になりたいのか、まったくわからないのです。

 

ネットで聞きかじった情報ですが、人生の目標を持てない人には、周りから『いい子』と評価されてきた人が多いそうです。

周りの評価基準に合わせる生き方をしてきたことで、自分の夢や理想を持てなくなってしまうそうです。

思えば自分もそういう『いい子』タイプだったと思います。物心ついてから、親や周りの人を困らせるような言動はあまりなかったと思います。自分自身もそんな『いい子』の自分に満足していました。

しかし、28歳になった今、これ以上周りの誰かのためにいい子でいる必要などあるのでしょうか。この人生を誰かのためでなく自分のために生きたって、誰にも文句は言えないでしょう。

 

私にも夢中になってひたむきに努力できるようなものを見つけることができるんだろうか。

突き動かされるような情熱や衝動が、私の中にあるんだろうか。

自分の心を見つめると、空っぽで泣きそうになるけれど、今ここでその現実から目を背けたら、私はいつまで経っても変われないと思うのです。

 

 友人に勧められて、Steve Jobsの伝記を読んでいます。

友人もこの本を読んで自分の人生に革命が起こったそうです。

今はまだどうやって人生の目標を見つけたらいいのか、自分の中の情熱をどうやって呼び起こせばいいのか見当もつきません。

でも、私もこの人生に革命を起こさなきゃ。

今はその気持ちにあふれています。

ペーパーバック版 スティーブ・ジョブズ 1

ペーパーバック版 スティーブ・ジョブズ 1

 

 

 

 

ぐちぐち。

1ヵ月があっという間に過ぎてしまいました。

前回から1ヵ月の間、何をしていたかといえば主に仕事で、昇進の話があって気軽に「やりまーす」と言ったら身の丈に合わない昇進で、その準備でわたわた。

休みになったら寝て体力を回復するのに必死で、何かを楽しむ余裕もありませんでした。

そういう生活って、仕事は充実しているけど、私生活は荒みがち。

平日はコンビニ弁当とカップ麺で食いつなぎ、夫と言葉を交わすのは帰ってからの1時間ちょっとの時間だけ。

せめてもうちょっと職場に近いところに引っ越して通勤時間を減らしたいと思って賃貸情報を見るけれど、今の家賃が安すぎて都内に引っ越したらそれだけで家計が火の車になりそう。

夫も私もフルタイムの正社員で働いてて何でこんなにお金がないの?!と絶望しました。(給料が低いの一言に尽きる)

最近、将来のことを考えると子供が欲しいなと思うようになったけど、今みたいに通勤時間は1時間以上で残業あり、帰宅は22時じゃ子供は育てられないし、かといって引っ越しもできない、捻出できるお金はわずかとなったらもう人生八方ふさがりですよね。

このところ「保育園落ちた。日本死ね。」が話題になって私も随分関心をもって見ていましたが、我が家なんてそこにたどり着くことすらできないのかと思ったら毎日仕事しかしてない人生に何の意味があるのかという気持ちになってきました。

 

そんな暗い気持ちでネイルサロンに行ったら「グリーンネイル(爪にカビが生える病気)になってますよ」と言われて、さらに落ち込み。

全然いいことがない1ヵ月でした。

この悪い流れを払拭する何かを探さなきゃいけませんね。

無関心ほど怖いものはない。

日本人ってなんて冷たいんだろうと思った話。

今日、仕事の帰りに東京駅構内を歩いていると、一組の男女が道行く人の中で立ち止まっていました。
よく見ると男性は歩いている人たちに話し掛けようとジェスチャーで呼び止めていました。
けど、歩いている人たちは目もくれずにどんどん流れていきます。
その2人はアジア系の見た目だったので、英語通じるかな?とちょっと心配しつつも話しかけたら、出口を探していたようで英語でちょっと話をしました。
探している場所が'south gate'とあまりにも漠然としていたことと、もう少し詳しく聞こうかなと思った矢先に男性がEXITの看板を見つけて自己解決したことで、私は特に何の役にも立たなかったんだけど、とりあえず笑顔で去って行ってよかったなと思いました。

外国人かどうかに関わらず、困っている人がいかにも困ってますってジェスチャーしてるのに、誰も立ち止まらず、目も合わせようとしないで流れるように過ぎ去っていく姿はぞっとするものがありました。
相手の言葉がわらかなかったら困るといる気持ちもわからなくはないけど、思いやりを行動で示すことくらいしてもいいんじゃないの?言葉がわからなかったらお互いジェスチャー使えばいいし、ジェスチャーだけでも解決することって多いと思うんだけど。(私も以前観光地で韓国人のおばちゃんに「そのパンフレットはどこでもらえるの?」とジェスチャーと韓国語で聞かれて、ジェスチャーと日本語で答えたら一応伝わった。お互い言葉はまったく理解できてなかったけど)

最近、テレビで外国人に日本のいいところを聞いたり、日本のどこを観光したり楽しみにしてるか聞いて回る番組が多いけど、外国人の動向が気になるくせに、いざその人達が目の前に来ると無視する日本人の考えがまったく理解できない。
そんなんじゃ、日本の国としての魅力も人としての魅力もなくなっていくと思うんですけどね。

日本人が英語を話せないのは、きっと今では外国人観光客の常識となりつつあるだろうし、すべての日本人に英語で日常会話ができるようになれというのも無理な話なのはわかっている。
別にフランス人みたいに「ここはフランスなんだからフランス語を話せ」と強気な態度で出てもいいと思うんです。
言葉が通じなかろうが、問題が解決できなかろうが、まずは「あなたのことを気にかけています」という気持ちだけでも示すべきなんじゃないでしょうか。

そういう優しさがない社会って外国人にとっても私たち日本人にとっても生きづらい世界だと思うんですけどね。

英語浅漬け生活

早いもので2016年になってからもう1ヵ月半が過ぎました。

2016年最初のエントリーで、私は①英語で日記を書く。②通勤中の読書時間を洋書にシフトする。という2つの目標を掲げていました。

 

asakoxxx2.hatenablog.com

 

そして、1ヵ月半経った今、どちらも継続できています!わー!パチパチ!(誰もほめてくれないから自分でほめる)

 

日記はバイリンガルニュースMamiさんのMY JOURNALを使っています。

日記部分は全部で100ページあるのですが、そのうち8ページを使用済み。1回の日記で1ページを使用しているので8日間書いたことになります。

去年の私と比較しても大体同じくらいのペースで書けているので順調といえば順調なのですが、100ページを1年で使い切ろうと思ったらこれは少し遅めのペース…

できれば1ヵ月に8~9日は日記をつけたいと思っています。

何はともあれ、英語で日記を続けられているので、第一関門はクリアということで!

 

そして、通勤時間の読書も洋書へシフトし、先日1冊目をようやく読み終わりました。

 

Big Game

Big Game

 

 

舞台はフィンランドの山奥。主人公が住む地域では昔からのしきたりで、13歳になる日に一人で森で一昼夜を過ごし 、狩りをして獲物を持ち帰らなければ一人前の男として認められない。

主人公のOskariは超一流のハンターである父のもとに生まれながら、狩りの腕前は同年代の中でも一番下手。誰もが彼は狩りに失敗するとせせら笑い、父からは過剰な期待を寄せられながら一人森へ入っていきます。

そこで一人狩りをする予定だったのに、森の中で怪しい男たちを目撃し、その後空から落ちてきた避難シェルターを発見します。その中に入っていたのは、なんとアメリカ大統領!

2人は迫りくる危険から一昼夜逃げ切ることができるのか…?!

と、いうのが大体のあらすじです。

 

映画の原作本らしいのですが、子供向けなので単語も割と簡単でわからない単語も大体推測で読み進めることができます。

Oskariは狩りもしなきゃいけないのに、敵は追ってくるし、大統領は森の中じゃ全くの役立たずだし、彼の13歳の儀式はどうなっちゃうの?!というハラハラ感もあって、どんどん次が気になってくるストーリーでした。

 

まだまだ、英語にどっぷりつかっている生活とは言えませんが、この調子で少しずつハードルを増やして学習の継続を図りたいと思います。

田舎者が外資系企業に入るとこんなことに驚く!

私は去年転職し、今は翻訳会社に勤めています。

大学は英文科だったけど英語が堪能というわけでもなく(転職活動中に3回受けたTOEICでようやく700点台になった)、前職もまったく違う分野だったので、本当に未経験の状態で入りました。我ながらよく採用されたな、と未だに思うくらい。

そして今は外資系の会社に出向して、その会社のフロアの一区画を間借りして翻訳業務などを行っています。

 

ちなみに前職は公務員ではないけれど、公務員的なお堅い体質の企業で、ひとつ何かを決めるにも企画書を出して、お偉い方の手から手へ回っていきようやく上までたどり着いてハンコがいっぱい押された企画書を手に入れないと何も始まらない、コネと血縁関係で人事が決まるなかなかめんどくさい会社でした。

 

なので私にとって、外資系企業なんてまったく縁のない、とおいとおい存在でした。

それが、関東に引っ越してきて、ひゅっと採用してもらった会社に入ったら、いきなり外資系企業にいるんですもの、東京はなんてチャンスに恵まれた場所なんだろうと感動しました。

外資系の企業ってこんな感じ?というぼんやりとしたイメージはあったけど、こんなに日系企業とは違うの?!と驚くことばかり。

  • とにかく会社の建物自体がきれい。
  • レイアウトがやたらおしゃれ。
  • フレックスタイム制
  • 有給取得の推進の仕方が半端じゃない。そしてみんなめっちゃ取ってる。
  • 外国人の社員がたくさんいてミーティングルームが海外ドラマみたいになってる。
  • バリスタが無料で使えてやたら美味い。

 

今まで耐震強度なんて聞いたこともないような年季の入った会社で朝から晩までこき使われて、有給なんて辞める時しか使わせてもらえないのが常識だったので、こんなことでもいちいち驚き、やたら感動しています。

ただ、私は出向中とはいえ外資系企業のルールがすべて適用されているわけではないので、出勤時間は決まっているし、有給の取得も自社のルールに則っており、すべての恩恵を受けているわけではないのですが。

 

そんなわけで、日々私が持つ会社のイメージを打ち破るような出来事に直面し、驚きと感動を味わいながら仕事をしています。

最近一番驚いたのは、チーム内で仕事で上手くいった時「Good job!」「Bravo!」という言葉が飛び交っていたこと。

百歩譲ってGood jobまではまだわかる。けどBravoって!!

と、メールを見ながらひとり笑いをかみ殺していた私でした。

食の恨みほど深いものはない。

早いものでもう2月ですね。

私は毎日仕事に追われ、休みの日は泥のように眠りたいのに年のせいか長く眠ることもできない、そんな生活を送っております。

 

今日、スーパーに行ったら美味しそうがオクラが売っていました。

オクラっていつが旬なのかわかりませんが、大きくてでも安くてとても美味しそうでした。

オクラならさっと湯通しして輪切りにし、納豆・豆腐・春菊とあえてご飯にかける丼が一番好きです。

一本丸ごと豚肉で巻いて、しょうゆ・みりん・酒であまじょっぱく味付けすればお弁当にもピッタリなおかずになります。

 

あぁ、考えただけでよだれが出てきそう…

オクラを眺めながら、頭の中で大好きな料理たちが頭を駆け巡ります。

しかし、私はオクラを買うことができませんでした。

なぜなら、私の夫がオクラを食べれないからです。

オクラだけではありません。私が結婚してから、食べたくても諦めてきた食べ物は数知れず。

キムチ、辛口のカレー、パスタ、鍋、そしてすべての貝類。

夫はかなりの偏食家で食べることに興味がなく、美味しいと言って食べるのは肉とラーメンだけ…

辛いものは全部嫌いで、辛党の私は家で中辛のカレーを作るという屈辱を味わっています。

野菜も嫌いで、今のような寒い時期、鍋が美味しい季節だというのに「鍋は量が多いし、野菜がいっぱい入っているから嫌だ」と言って頑固拒否。きっと鍋は食べないまま春を迎えることになるでしょう。

魚介類に関しては夫が最も憎むべき食材で、特に貝類は一切口にしない。あさりの味噌汁、ハマグリのお吸い物、酒蒸し…漁師の孫に生まれ、子供の頃から魚介類大好きな私には肉生活がつらい…

そしてかろうじて食べてくれる焼き魚も食べ方のあまりの汚さにケンカになりかけたこと多数。最近はあらかじめ骨を取って、身をほぐして、なるべくお互いのストレスがないよう工夫しています。

 

もう、書き出したら止まらないほど私の食べたくても食べれない恨みつらみが溢れています。

そう聞いて「じゃあ、自分だけ食べればいいじゃん」と思う方もいるかもしれません。

でも、そうはいかない。

一回の食事でまったく違うものを2人分作るなんて超めんどくさいし、食材も余る。

夫がいない休日の昼食も、夫のお弁当のおかずの残りなどがあるので新たに作るまでもない。

夫はお酒が飲めない&友達がいない人なので飲み会も年1回くらいしかいかないからほぼ毎日一緒に食事。

 

そんなわけで、私は自分が食べたいものをぐっとこらえて夫も食べられる当たり障りのない食事を作るのです。

もちろん、夫が偏食家であることは結婚前から知っていました。だから、こうなることもわかっていました。

そこは自分が妥協しようと決心して結婚したけど、美味しそうな一袋98円のオクラを目の前に買うことすらできないとなると、思わず愚痴ってしまいたくなる日もあるのです。

 

こう書くと私ばっかり我慢しているようですが、実は夫も頑張っています。

先日、お弁当にじゃこご飯を入れたのですが、夫はじゃこご飯が大の苦手。

そんなこと知らずに作って美味しくできたのでいっぱい入れたら、そのお弁当の3日後くらいに「実はじゃこ苦手なんだよね。もう入れないで…」と衝撃の告白。

でもお弁当はきれいに食べて帰ってきたので、その時はまさかじゃこが嫌いだなんて思いもよりませんでした。

私に気を遣って嫌いなものを頑張って食べて、怒らせないように日を置いてから言ってくれたのかなと思ったらとてもうれしくなりました。

 

結婚生活は思いやりと譲り合いの気持ちが大切なんだなぁと食生活を通して思うのでした。

子供を取り巻く世界について思うこと

先日、書店でふらふら時間を潰している時に面白い本を見つけました。

 

給食のおにいさん (幻冬舎文庫)

給食のおにいさん (幻冬舎文庫)

 

 

普段はあまり手に取らないタイプの本だったのですが、なんとなく手に取って気付いたら40分ほど立ち読みしていました。

1/3くらい立ち読みで読んでしまって、そのまま帰るのも申し訳なかったので買いました。

 

簡単に紹介すると、一流レストランを渡り歩いてきた主人公・佐々目(28歳男)が、プライドが高いのと頑固なのが災いして数々の会社で同僚や上司とケンカし、ようやく出店した自分の店を火事で焼失させ、無一文になったところで小学校の調理師(1年間の契約社員)になって子供が抱える問題に給食を通して関わっていくというストーリーです。

 

この物語の中では様々な問題を抱えた子供が出てきます。

親にネグレクトされて家でご飯を食べさせてもらえない子供、モンスターペアレントに育てられて怒ることでしか感情表現ができない子供などなど…

こういう問題ってニュースなどでも取り上げられて、認知度も高まっていることと思います。誰もが一度は耳にしたことのある問題ではないでしょうか。

 

こういった問題を目にするたびに、子供は親を選べない、子供は生まれてくる場所を選べない、という運命の残酷さを感じます。

すべての親が子供を愛し、子供の成長に必要な衣食住環境をそろえる、という当然のように思えることすら、与えられない子供がいることを思うといたたまれない気持ちになります。

 

私は年末に誕生日を迎えて28歳になりました。もうすぐ結婚して1年が経つころで、そろそろ子供のことも考えないとな、と思うことが多々あります。

そういった時に、上記のような子供を取り巻く環境を考えて、自分はどんな親になるんだろう、自分はちゃんと子供を愛せるのだろうか、と悩みます。

私は子供が嫌いだし、きっと子供ができても夫婦共働きは変えないと思う。仕事を優先して子供に寂しい思いをさせる日もあるだろう。

こんな私のもとに生まれてきた子供はどんな気持ちで育つことになるのだろうと考えると、私に子供を産む資格などあるのだろうかと思います。

 

そんな自分の心境も相まって、最近はこういう話を見ると将来の自分に置き換えて想像するようになりました。

いろんな人がいて、いろんな家庭の形がある昨今でしょうから、どれか一つが正解ということはないと思います。でも親になるのなら、子供に「こんな家に生まれてこなきゃよかった」というような思いだけはさせたくないものです。